今では普通に使われる言葉も実はある人物が広めた…というとバラフライエフェクトみたいで面白いですよね。明治・大正時代は政治家や小説家、昭和の時代はテレビの影響力が強かったので芸能人がきっかけになることが多かったようです。
さてギャルという言葉ですがこれっていつ頃からあったんでしょうか。一説では沢田研二さんの1979年の”OH!ギャル“という楽曲がきっかけで広まったといわれています。どうでしょうか真相を探っていきます。
沢田研二による”ギャル”普及の真相
“ギャル”は昭和初期から存在した
まず最初に確認したいのは沢田研二さんがギャルという言葉を作ったわけではないということです。沢田研二さんの曲は広く知られるきっかけというわけです。ギャルという言葉の歴史は意外と古く昭和初期にgirlのくだけた言い方のgal(ギャル)として流行ったそうです。当時の俗語辞典にも掲載されていました。
ギャル
- 〘 名詞 〙 ( [アメリカ] gal girl が訛った俗語 )
- ① 若い女性をばかにして悪くいう語。昭和初期の流行語。「ギャール」の形で使われることが多かった。〔モダン語漫画辞典(1931)〕
出典:コトバンク
辞典にも載るくらいなのでそれなりに普及していたのでしょう。ただ揶揄するニュアンスがあったようで出版物では使われても新聞では「ガール」が使われたそうです。”あまり人前で言わないほうがいい”くらいのニュアンスですかね。
「ギャル(GAL)」は、もともとは若い女性を意味する米国の俗語らしい。日本の出版物でも「ギャール」との呼称が昭和初期に見られたという。 読売新聞の記事データベースでは、戦前に「ギャル」は見つからなかったが、「ガール」は多い。明治期には、海外で芸者が「ゲイシャガール」と呼ばれるという記事があり、大正期には「モダン・ガール」が頻出する。洋装をさっそうと着こなす新しい女性を指した流行語である。昭和に入ると「ガソリンガール」「喫茶ガール」といった造語が見られる。それぞれガソリンスタンドや喫茶店で働く女性スタッフのこと。ここまでは、「ガール」に「若い女性」という以上の意味はなさそうだ。
出典:読売新聞オンライン
そこから大分時代が飛んで1979年の沢田研二さんの”OH!ギャル”で突然復活するという話になります。
定着は歌詞のギャル連呼が鍵?
当時の沢田研二さんは、テレビ・ラジオ・雑誌と露出が桁違いです。ヒット曲のサビや決めフレーズが、翌週には学校や職場で口ずさまれてる…そんな時代です。だからこそ“ギャル”という言葉が繰り返される中で世の中に広く共有されたと感じる人が多かったんだと思います。そんな記憶から同曲で一般的な認知が進んだと語られやすいのではないでしょうか。ただ言葉はそれ以前から存在していたのであくまで普及したきっかけと言うのが正確です。
この曲がきっかけになったという話で納得感があるのは、歌詞の作りがとにかく耳に残ることです。
OH!ギャルは“ギャル”が反復されて言葉として刷り込まれやすい構造になっています。さらに女は誰でもスーパースターみたいな強いフレーズが付いてくる。ここが昭和歌謡の特徴で意味はなんだかわからなくても勢いで言葉だけが独り歩きしていく。結果として「ギャルって言葉よく聞くな」という印象が積み重なって浸透していった…という見立てはわりと筋が通ります。ただ歌詞が浸透の原因だったと証明するのは難しいのでそう語られやすいと扱うのがちょうどいいです。
当時のギャルという言葉のニュアンスはいまとは少し違ったようです。当時はギャル=若い女性、女の子くらいの広めのニュアンスで受け取られていたと語られることが多いです。だからOH!ギャルの歌詞を読んで「今のギャル像と違うな」と感じてもそれは自然な反応で時代によって言葉のニュアンスが変わるんですよね。
70年代に”ギャル”が復活した背景
戦前に一時期流行って半ば死語と化していたギャルという言葉が70年代に主にマーケティングの文脈で使われ出します。沢田さんの楽曲はその象徴として語られやすいのです。マスとしての「若い女性」の呼称が復活した背景はいくつか考えられます。
「重要な消費者」としての若い女性
1970年代に旅行・ファッション・レジャーが盛んになり若い女性が経済を動かす存在として認識されるようになりました。ここでマスとして「若い女性」を指すラベルの需要が高まります。
女性誌の読者層の呼称
70年代初頭に an・an(1970)/non-no(1971) など新しいタイプの女性誌が登場し、若い女性の行動(旅行・買い物・流行)が強く刺激されました(いわゆる「アンノン族」)。さらに1977年に MORE が創刊されるなどターゲット年齢の“細分化”が進みました。 こういう状況では英語由来で軽いタッチの「ギャル」は使い勝手が良く編集・広告コピーで好まれたようです。
消費文化のターゲット
70年代〜80年代の商業施設や広告は、単にモノを売るだけでなく「文化・ライフスタイル」を売る戦略を強めたという文脈で語られます(例:PARCO周辺の消費文化)。 こうした“新しい生活者像”にカジュアルな呼称(ギャル)がマッチしたと考えられます。
“ギャル”を冠したアイドルグループと雑誌の創刊
こうした時代の空気を捉えて前年の1978年に”ギャルズ・ライフ“という雑誌が創刊されます。さらにそのものずばりの”ギャル“という三人組アイドルグループもデビューしています。
このグループは時代が早すぎたのか売れなくて2年ほどで解散してしまったとのことですが”OH!ギャル”はいきなり出て来たわけでなくこういう流れがあって発売されたわけです。
しかし戦前からある種断絶していたものがいきなり復活するというのも謎ですね。当時ビジネスの中枢にいた世代が子供の頃に流行ったギャルという言葉をうっすら覚えていてリバイバルさせたのかしれません。
“ギャル”復活の流れまとめ
まとめると①若い女性が巨大な消費者として注目される → ②女性誌・広告がその層を名指しする言葉を求める → ③ポップカルチャーで拡散
という流れです。ただ当時のニュアンスはギャル=若い女性という中立的な意味しかなく90年代以降の一定のスタイルのような記号的な意味はまだありません。言葉の浸透とスタイルとしての定着を分けて見ると興味深いです。
沢田研二とギャルの関係まとめ
繰り返しになりますが沢田研二がギャルという言葉を作ったというわけではなくギャルの語源は昭和初期のgalにさかのぼります。普及のきっかけとしてOH!ギャルが語られやすいと捉えるのが無難かと思います。



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